セミリタイアを30年前の「フリーアルバイター(フリーター)」現象から捉える

 

 もう30年くらい前になりますが、「フリーアルバイター」という言葉が流行っていました。いうまでも無く、現在言うところの「フリーター」の語源となった言葉です。

 単純な職業上の肩書というより、「時間に縛られる定職につくことを嫌い、自由にアルバイトしながら、自分の好きなことをして生きていく」というライフスタイルそのものを指していたように思います。

 こう書くと、結構「セミリタイア」に近いものがありますね。特に、不足分の資金をアルバイトにより得ているセミリタイアの場合、「フリーアルバイター」の一パターンと見なすことも不可能ではないかもしれません。

 しかし、それらを実践している人達の意識を踏まえると、表面的には似ていても、「フリーアルバイター」と「セミリタイア」は、まるで正反対の部分があります。逆に言うと、当時と現在ではまるで社会状況が違うのに、そこから引き起こされる事象が表面上類似している、という点で大変に興味深いものがあります。

 そこで今回は、「フリーアルバイター」と「セミリタイア」の比較論を書いてみたいと思います。

 なお、ここでは「フリーター」という用語は使いません。あまりにも手垢が付き過ぎていて、本来の「フリーアルバイター」の語感から大きくかけ離れてしまっているためです。

 

★野生の藤の花盛り&多摩川(東京都青梅市)
藤の花
<ul>

 

形式的な違い

 セミリタイアは、過去定職についていた人だけに適用できる言葉であり、「フリーアルバイター」は、最初から定職についていないか、就職後すぐに辞めたという人がほとんどでしょう。

 また、「フリーアルバイター」はお金を稼ぐ手段がアルバイトにほぼ限定されるのに対し、セミリタイアはアルバイトの他、投資や不動産経営など無限定であるという点も違います。

 ただ、これらの違いはやや形式的なものだと思うんですよね。あまりそういうところにこだわっても面白くないので、本稿では重視しません。むしろ本質的なのは、実践者達の生活観・人生設計の部分ですので、そこを中心に述べていきます。

当時のフリーアルバイターのイメージ

 私の記憶では、当時「フリーアルバイター」のスタイルを選択していた人は、頻繁に海外旅行へ行くなど享楽的だったり、自分探しに時間を費やしていたりなど、あまり堅実ではないイメージがあります。全員がそうだとは言わないけど、そういうイメージが強かったです(その後、フリーターへの風当たりが強まったのは、そのイメージのせいもあるでしょう)。

 実際、当時はバブル景気真っ盛りで、バイトも条件が良かったので、変に就職してしまうより、割が良かったりするのです。

 次のサイトでは、過去の報道記事を多数集めており、当時の雰囲気が感じ取れて興味深いです。

フリーター/フリーアルバイターに関する報道 1980年代

 例えば、以下の例などは、当時のフリーアルバイターのイメージをよく象徴しているものです。

□私たちフリーアルバイター――池末さんの”自分探し”(消費最前線)(日経流通新聞)

 フリーアルバイターには自分の人生をまだ決定したくない、という意識を強く持つ人が少なくない。東京・調布市に住む池末雅之さん(25)は自ら、「”自分さがし”をしてるんです」と説明する(中略)。サラリーマンになるのは人生に妥協した時、と思っている。 

□私たちフリーアルバイター――佐瀬さんの余裕、やりがいある(消費最前線)(日経流通新聞)

 この仕事の良さは余暇が多いのと働く日数の割に収入が多いこと。二百万―三百万円の年収は、仕事柄、買いそろえなければならない洋服や友人との旅行、最近始めたウインドサーフィンなどに消えてしまう。昨年も五月にビジネスショーの仕事を終えてから五日間、サイパンに行った。当然ながら貯金はほとんどでき ない。「遊ぶお金を作るために働いているようなものですね」と笑う。

昨今のセミリタイアが当時のフリーアルバイターと異なる点

 さて、セミリタイアとの比較に話を移します。

 昨今のセミリタイアと当時のフリーアルバイターは、しがらみの多い会社員・公務員等の職場に嫌悪感を抱き、労働を限定的に抑えることで自由な立場を確保する、という点では共通するものの、全然違う点もあるなぁ、と思います。

生活観

 セミリタイアブログを読むと、投資などを併用してはいるものの、生活設計の核は「節約」です。多額の消費をしない生活を続けることで、経済的独立を担保しています。もちろん、持てるリソース内において楽しみは最大限追求するものの、当時のフリーアルバイターのような享楽的要素はほとんど見られないのです。

人生設計

 セミリタイアしている人やその志望者の人生設計はすごい。

 何しろ、かなり若い人であっても「死ぬまで逃げ切れるかどうか」まで計算しているのですから。この「死ぬまで逃げ切る」という発想を持っていることこそが、セミリタイア・早期リタイアと、他の「定職を持っていない状態」とを最も区別する点だといっても過言ではないのでしょうか。

 当時のフリーアルバイターと比較すると、享楽的なタイプはその時その時しか考えていなかったでしょうし、自分探しタイプも、その関心の対象はせいぜい「自分探しが終わるまで」でしょう。「死ぬまでの人生設計」なんて、夢にも考えてなかったに違いありません。

当時と昨今の社会状況の違い、特に「終身雇用」について

 このように、昨今のセミリタイア者は堅実で、しかも計画的です。

 同じく定職を忌避して労働を限定的に抑えていながら、フリーアルバイターと生活観や人生設計の方向性が全然異なるのは何故でしょうか。

 それはやはり、社会状況の違いからくるものでしょう。

 先日、経団連の会長が「終身雇用なんてもう維持していけない」と言って話題になりましたが、実は当時のフリーアルバイターも、終身雇用を魅力の少ない就労形態と見なしていました。

 それは、束縛の強い終身雇用で働くよりも、アルバイトで稼ぎながら自由に生きていく、という生活モデルの方に魅力があり、享楽的な生活や自分探しに有利だったからですね。

 しかし、この生活モデル、最近はすっかり色あせているのは周知の通り。一定のレベルで生活していくためには結局「終身雇用で働く」という選択肢をとらざるを得ません。

 しかし、終身雇用の束縛性が改善されているわけではなく、忠誠ばかり求められる割に賃金は下げられ、出世のポストは減少、リストラの横行、と悪いことばかり。

 終身雇用もダメ、フリーアルバイターもダメとなれば、取り得る選択肢として浮上してくるのがリタイアです。

 リタイアしたら、組織に依存することは出来ないのですから、自分で自分を守るしかない

 現役のときに必要な資金を貯めたり、家計を節約体質にしたり、投資でお金を増やしたり、人生計画を綿密に立てたり、というのは、全てこの「自分で自分を守る」という行動の一環だと考えられます。

 一方、当時のフリーアルバイターのような享楽的な行動は、自分を守る方向性とは逆行するので、多くのセミリタイア者は忌避するのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
↑ランキングに参加しています。クリックして頂けると幸いです。